「この歯は、まだ大丈夫ですよね」
歯科医師として40年、患者さんから何度も聞いてきた言葉です。
この言葉を聞いたとき、私は単純に「大丈夫です」「大丈夫ではありません」と答えることはできません。
なぜなら、歯の状態は、痛いか痛くないかだけでは判断できないからです。
そして、もっと大事なことがあります。
そのずっと前から、歯を失う方向へ進んでいることがあります。
歯を失う人に共通する「大丈夫」
歯科医院で診ていると、こんな会話があります。
「痛くないから、まだ大丈夫ですよね」
「歯がグラグラしていないから大丈夫でしょう」
「歯ぐきから血が出るけど、痛くないので気にしていません」
「前に治療した歯だから、もう安心だと思っていました」
どれも、気持ちはよく分かります。
痛くなければ病気とは思いにくい。
歯が普通に使えていれば、問題があるとは考えにくい。
これは自然なことです。
しかし、歯周病は少し事情が違います。
日本歯科医師会も、歯周病は痛みなどの自覚症状が少ないまま進行することがあり、歯科医院での定期的なチェックが重要だと説明しています。
つまり、
「痛くない」ことと「歯に問題がない」ことは同じではありません。
ここを勘違いしないことが、歯を残すための最初の一歩です。
歯を失う原因は「その日」に起きたものではない
厚生労働省の情報では、2018年の全国抜歯原因調査で、歯を失う原因として歯周病が37%、むし歯が29%、破折が18%などとなっています。
ここで私が患者さんに伝えたいのは、数字そのものだけではありません。
抜歯することになった歯には、そこへ至るまでの時間があります。
例えば歯周病なら、
プラークが付着する
↓
歯ぐきに炎症が起こる
↓
歯と歯ぐきの境目に変化が起こる
↓
歯を支える組織に炎症が及ぶ
↓
歯を支える骨にも影響する
↓
歯が動く
↓
保存が難しくなる
というように、段階があります。
もちろん、すべての人が同じ経過をたどるわけではありません。
だからこそ重要なのは、「最後の状態」だけを見るのではなく、その前の変化を見ることです。
本当に怖いのは「歯が痛くないこと」ではない
ここは誤解してほしくありません。
私は「痛くない歯は危険だ」と言いたいのではありません。
痛みがないこと自体は悪いことではありません。
問題なのは、
痛みがないことを理由に、歯の状態を確認する必要までなくしてしまうこと
です。
歯周病の場合、歯科医院では歯周ポケットの深さ、出血、プラークや歯石の状態、必要に応じてレントゲンなどを確認します。
自分で鏡を見ただけでは分からないことがあります。
厚生労働省も、歯周病は初期には自覚症状がほとんどなく、正確な診断には歯周ポケットの検査やレントゲン、プラークの付着状況などを調べる必要があるとしています。
だから、
「痛くないから行かなくていい」
ではなく、
「痛くない今だから、状態を確認できる」
と考えてほしいのです。
私が40年の診療で気になってきたこと
歯を失う患者さんを長く診ていると、歯そのものよりも、その人の「判断のタイミング」が気になることがあります。
「もう少し早く診せてもらえていたら」
そう思うことがあります。
これは患者さんを責めているのではありません。
歯は毎日使うものです。
少し血が出ても、そのまま食事ができる。
少し歯が動いても、すぐに食べられなくなるわけではない。
少し歯ぐきが下がっても、仕事や生活には大きな支障がない。
だから後回しになりやすいのです。
そして、ある日突然、
「噛みにくい」
「歯が動く」
「腫れて痛い」
という状態になって、初めて重大さに気づく。
でも、そのときには、以前ならできたことができなくなっている場合があります。
「歯を残せる人」は何が違うのか
歯を残せる人が、特別に歯が強いとは限りません。
歯磨きが完璧な人ばかりでもありません。
私が大切だと思うのは、小さな変化を放置しないことです。
例えば、
「最近、歯ぐきから血が出る」
「同じところに食べ物が挟まる」
「以前より歯が長く見える」
「口の中の感じが変わった」
「昔治療した歯が気になる」
そんな変化を、
「年齢のせいだろう」
「たいしたことはないだろう」
と片づけないことです。
もちろん、これらの変化があったからといって、すぐに歯を失うという意味ではありません。
むしろ逆です。
変化に早く気づけば、確認する時間が残されています。
歯を守るために覚えておいてほしい一つのこと
私は、患者さんに「怖がってください」と言いたいわけではありません。
歯周病が怖いから歯医者へ行く。
むし歯が怖いから歯医者へ行く。
それだけでは、なかなか続きません。
私が伝えたいのは、
「自分の歯が今どんな状態なのかを知っておく」
ということです。
歯科医院で定期的なチェックを受ける人が、その理由として「安心できる」「歯周病やむし歯の予防ができる」と答えていることも、日本歯科医師会の調査で示されています。
歯を守るというのは、何か特別なことをすることではありません。
毎日歯を磨く。
歯間を清掃する。
そして、自分では分からない部分を歯科医院で確認する。
この繰り返しです。
最後に、歯科医師40年の私から
歯が抜けた日を、
「歯を失った日」
と思っている人は多いと思います。
しかし私は、そうではないと思っています。
歯を失うまでには、その歯が出していた小さな変化を見逃していた時間があります。
だからこそ、
歯を残すために見るべきなのは、抜ける直前の歯だけではありません。
その前に何が起きているのか。
自分の歯にどんな変化があるのか。
そこに気づくことが大切です。
「まだ大丈夫」
そう思ったときこそ、一度、自分の歯を振り返ってみてください。
痛みがあるかないかだけではなく、
「以前と何か変わっていないか」
を見る。
それが、歯を残すためのスタートになるかもしれません。
歯は、一度失えば元には戻りません。
だから私は、歯が悪くなってから守るのではなく、まだ使えている今の歯を守ってほしいと思っています。
歯科医師40年。
これまで多くの歯を診てきた私が、今いちばん伝えたいのは、このことです。
歯を失う日は、歯が抜ける日から始まるわけではありません。


コメント